スウェーデンはなおボヘミアの征服とプロテスタント化を諦めず、1648年7月26日以降、プラハでは戦闘が続いた。しかし今やカトリックの最後の砦となったプラハは激しく抵抗し、降伏には応じなかった。後にスウェーデン王となるカール10世(スウェーデン軍総司令官)も援軍に駆けつけ、包囲戦は3ヶ月にも及んだ。
11月2日、プラハにヴェストファーレン条約の締結の報が届き、この日ついに三十年戦争は終結した。しかしスウェーデンでは親政を開始したクリスティーナ女王の政策によって、和平交渉で新たな展開が起こることとなる。
結果・影響
この戦争は、神聖ローマ帝国という枠組みを越えて全ヨーロッパの情勢に多大な影響を与え、その後のフランス革命に至るヨーロッパの国際情勢を規定することになった(ヴェストファーレン体制)。1648年に締結された史上初の多国間条約であるヴェストファーレン条約(ウェストフェリア条約)によって戦争に最終的な決着がつけられ、この結果、およそ300に及ぶ領邦国家の分立状態が確定することになった。神聖ローマ帝国は、この後も1806年にナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)によって滅ぼされるまでの間存続しつづけたが、実体のない名ばかりの国家として亡霊のごとく生き続けることとなる。オーストリア・ハプスブルク家はドイツ王ではなくオーストリア大公、後にオーストリア皇帝として18世紀、19世紀を生き延びることとなった。
長期間にわたる戦闘や傭兵による略奪でドイツの国土は荒廃し、当時流行していたペスト(黒死病)の影響もあって人口は激減し、交戦国間の経済にも多大なマイナス効果を及ぼすことになった。
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なお、フランスとスペインの戦いは三十年戦争以後も継続し(西仏戦争)、1659年、ピレネー条約によって終結した。この条約は「ルシヨン、サルダーニャ、アルトワの割譲」「ルイ14世とフェリペ4世の王女マリア・テレサの結婚」「マリア・テレサは50万エスクードを持参金とし、その代償としてスペイン王位継承権は放棄」というものであった。この戦争を境としてスペインの覇権は失われ、フランスの覇権の時代が開始された。
またオスマン帝国は三十年戦争に直接参戦していないが、属国トランシルヴァニア侯の介入によって間接的に三十年戦争に関与し、ハプスブルク家を圧迫した。